万博の記憶を刻む「千里阪急ホテル」閉館・歴史・建築の全貌
大阪府豊中市、千里ニュータウンの象徴として半世紀以上にわたり親しまれてきた「千里阪急ホテル」が、2026年3月30日をもってその長い歴史に幕を閉じます。1970年の日本万国博覧会(大阪万博)開幕と同時に誕生し、皇室や世界各国の要人を迎え入れてきたこのホテルは、単なる宿泊施設を超えた「北摂の迎賓館」であり、日本を代表する建築家・浦辺鎮太郎による建築学的遺産でもあります。

(夏にはビアガーデンでも賑わったプール)
2026年3月30日、千里阪急ホテルの閉館:その理由とスケジュール
千里阪急ホテルは、2026年3月30日の宿泊利用をもって営業を終了します。閉館の主な理由は建物の老朽化です。1970年築の建物は、現代の耐震基準や設備更新に膨大なコストがかかることから、運営する阪急阪神ホテルズにより2021年に営業終了が決定されました。
また、この閉館は千里中央地区全体の再開発プロジェクトの一環でもあります。長年地域を支えてきた建物は解体され、新たな街の機能へと引き継がれることになります。
大阪万博(1970年)と共に歩んだ56年の歴史
ホテルの歴史は「大阪万博」の開幕と共にスタートしました。当時はまだ珍しかったガーデンプールを備えたリゾートホテルとして、万博会期中は世界各国の賓客やパビリオン関係者の宿泊拠点となりました。1976年には「この場所で結婚式を挙げたい」という地元住民の要望に応え、宴会場棟(東館)が増築され、地域に根ざした社交場へと発展していきました。

(千里中央のランドマークとして愛されてきたホテルの外観)

(歩んできた歴史を今に伝える展示コーナー)
建築家・浦辺鎮太郎が手掛けた「森と街のつなぎ目」
千里阪急ホテルの設計を担当したのは、倉敷アイビースクエアなどで知られる巨匠・浦辺鎮太郎(うらべ しずたろう)です。コンセプトは「森と街のつなぎ目」。豊かな自然と、新しく生まれたニュータウンを調和させるための意匠が随所に凝らされています。

(独特の曲線美が美しいエントランス)
職人の手仕事と素材へのこだわり
館内はRC(鉄筋コンクリート)造でありながら、木、煉瓦、タイルといった自然素材が多用され、温かみのある雰囲気が漂います。
- 吹きガラスの照明: 浦辺建築のアイコンであるオレンジ色の照明は、職人が一つずつ吹きガラスで仕上げた一点ものです。
- 手作業のタイルと手すり: 床のタイルは土練器から切り出され、階段の手すりは人が握ったときの感触を大切に、何度も削り出しの試作を重ねて作られました。
- ステンドグラス: 三浦啓子や作野丹平による作品が、空間に美術館のような彩りを与えています。

(職人技が光る照明とドラマチックな階段)

(素材の質感が活かされた建築のディテール)
閉館前に訪れたいレストランと宿泊の魅力
現在、ホテルでは「Finale(フィナーレ) 縁あれば千里」と題したキャンペーンが実施されています。鉄板焼・フレンチ「ボナージュ」や中国料理「三楽」では、56年間の集大成となる特別メニューを楽しむことができます。また、実際に使用されていた「ルームキーホルダー」がもらえる宿泊プランなど、ファン垂涎の企画も用意されています。

(計算された空間の構成美)

(光溢れる空間設計)

(ゆったりとした時間が流れロビー)
【重要】閉館前の宿泊・レストラン予約について
閉館が近づくにつれ、週末や記念日の予約は大変混み合うことが予想されます。北摂の記憶を心に刻む最後の滞在を、ぜひお早めにご検討ください。

(暖炉のある心地よい待合エリア)
跡地はどうなる? 2032年度に向けた千里中央再開発
千里阪急ホテルの閉館後、この広大な敷地は「公園南街区」として、千里中央エリア全体の再整備計画に組み込まれます。
2032年度の完成を目指し、隣接する千里東町公園と一体となった「賑わい広場」の整備や、都市型住宅(都心居住機能)の導入が計画されています。かつてのセルシー広場が持っていた活気を受け継ぎ、新しい時代にふさわしい交流拠点へと生まれ変わる予定です。
まとめ
千里阪急ホテルの閉館は、単なる営業終了ではなく、万博から続いた一つの文化の区切りでもあります。浦辺鎮太郎が遺した温もりのある建築空間を体験できる時間は、残りわずかです。北摂の歴史を共に歩んできたこの場所で、最後の思い出を作ってみてはいかがでしょうか。
